前回に引き続き、オリンピックネタで行ってみます。
今日は、1988年のオリンピックの話です。
1988年の冬のオリンピックはカナダのカルガリー。そして夏は韓国のソウル。ここら辺になってくると僕ももう10歳なので大分はっきりした記憶がある。
カルガリーオリンピック
日本人のメダルは黒岩彰がスピードスケート男子500メートルで獲得した銅メダル一つだった。1984年のサラエボで惨敗した彼にとっては感無量のメダルだった事だろう。
日本人の活躍として印象に残ったのは伊藤みどり。天才少女と名をはせた彼女。男子選手にも負けないその圧倒的なジャンプの高さと技術はすばらしかった。しかし、カルガリーの金メダリストのカタリナ・ビットは「観客はゴム毬がはねるのを見にきているわけではない」と、伊藤みどりを暗に揶揄するような発言をする。この発言と、伊藤みどりの抜群の運動能力を示すその演技の狭間で、一部でフィギュアスケートは芸術なのかスポーツなのかという論争も巻き起こったりした。
カタリナ・ビットは伊藤みどりの演技を芸術的ではないと言いたかったのかも知れないが、カルガリーの観客は伊藤みどりのその演技にスタンディングオべーションを送った。そして、本来メダリストしか出場の許されないエキジビジョンに参加する栄誉を得た。このときのスタンディングオべーションは僕の記憶にもはっきり残っている。
スキー、ジャンプのニッカネン。抜群の強さを発揮して3つの金メダル。ラージヒル、ノーマルヒル、そしてこの大会から採用された団体でも金メダル。
彼は現在の主流であるV字飛行を各選手が取り入れだす前の最後のオリンピックチャンピオンとなった。平行にそろえたスキー板を体の正面からわずかにずらし、風の抵抗を大きく受けるようにして飛距離を伸ばしていた。彼のこの飛行体勢が後のV字飛行の元になったとも言われている。
しかし、彼はその後、転落人生を歩む。アルコール依存症、ポルノ雑誌で脱ぎ、さらにストリップショーへの出演。結婚離婚を繰り返し、更正したと宣言してはまた同じようなことを繰り返す。さらには飲酒絡みの暴行を繰り返し逮捕され、現在はなんと殺人未遂で服役中とか。このフィンランドの英雄の転落を描いた映画は今年一月ヨーロッパで公開されたらしい。何が彼を転落させたのか。この映画、機会があれば是非見てみたいと思う。
ソウルオリンピック
1988年のこの夏季五輪、誘致合戦で名古屋をかわしてソウルが選ばれた。この招致合戦、名古屋の優勢が伝えられていたが、アジアでのオリンピックが日本に集中してしまう懸念、更にはモスクワオリンピックをボイコットした事による東側諸国の反発などもあったらしい。ていうか韓国もモスクワはボイコットしてるんだが・・・・・
当時の名古屋市長はこの誘致失敗により(おそらくそれが大きな原因)により自殺してしまっている。
しかし、この招致合戦に敗れた事が2005年の万博開催につながったという向きもある。
このオリンピックの開催決定は1981年。1980年の
光州事件の翌年にソウルでの開催が決定された事には驚きを覚える。あんな事件からたった一年しか経っていない韓国をオリンピック開催地に決定するのはするのはまだ少し早すぎたのではないか。僕に言わせれば、このオリンピックは名古屋で開催されるべきだったように思っている。名古屋に決まっていれば、あの
大韓航空機の爆破事件も起こらなかったのではないだろうか。
何はともあれ、ソウルオリンピックは開催され、大会そのものは成功のうちに幕を閉じることとなる。
この大会でもっとも衝撃的だったのはやはりベンジョンソンの禁止薬物による金メダル取り消しだろう。この大会、ベンジョンソンは100メートルで9秒79という驚異的な世界記録を打ち立て優勝する。まだ9秒90の壁を破った人間がベンジョンソン以外に一人もいなかった中、一人だけ9秒80の壁まで打ち破ってしまった。前年の世界陸上で出された9秒83という彼の世界記録も驚異的だったが、その記録を更に伸ばしてしまったのだ。
1968年から87年までの間に人類が0.04秒しか縮めることの出来なかった世界記録をたった一年強の間に一人で0.16秒も更新してしまった。
筋肉の塊と言われたベンジョンソンのその盛り上がった筋肉はすごかった。目は充血し、ステロイドをやっているのではないかというのは、かなりの人間が思っていた。そのかなりの人間の疑惑に呼応するように、ベンジョンソンの尿からは禁止薬物が検出されたのだ。
ベンジョンソンとカールルイス。この二人の対決は歴史に残る名勝負だった。
ドーピング疑惑といえば、この大会の陸上女子100メートルと200メートルを圧倒的な強さで制したジョイナー。彼女の100メートル10秒49、そして200メートル21秒34という記録は今でも近づける選手さえ出ていない。
2005年度の女子世界ランク一位の記録は100メートル10秒84。そして200メートルは22秒13である。1988年に出されたこの記録に18年以上経た今でも近づける選手が出てきていないのだ。これを見れば、「永遠に破られない記録」と言われるのも納得である。
彼女のド派手や化粧はドーピングをによる体の変化を隠すためだったとも言われている。ちなみに彼女はソウルオリンピックの翌年、29歳にして早々と引退し、38歳で心臓発作による死を遂げた。彼女の死因もまた、ドーピングの副作用によるものではないかといわれている。
とはいえ彼女は本当に強かった。あれほど強い短距離ランナーはおそら我々が生きている間に再度お目にかかることはできないであろう。
日本人選手の活躍。
斉藤仁。日本柔道はこの大会苦しみに苦しんだ。この大会の柔道競技、最終日(95キロ超級)が始まった段階で、まだ金メダルを一つも取れていなかった。そしてやってきた最終日、95キロ超級の戦いが始まる。日本代表として斉藤にかかるプレッシャーは相当なものだっただろう。しかし彼は勝ち進んだ。そして金メダルをとった。最後の砦となった斉藤仁の金メダルは価値のあるものだった。表彰台の上で泣きじゃくる彼の姿は印象深い。
背泳ぎの鈴木大地の金メダル。30メートル近くまで水中に潜る「バサロ泳法」と呼ばれる作戦で、55秒05の日本新記録。見事な金メダルだった。島村アナウンサーが「鈴木大地、まだ潜っています」と繰り返したあの実況は忘れられない。最近では荒川静香のイナバウアーという言葉が日本ではやっているようだが、当時はこの鈴木大地の使ったバサロ泳法という言葉が一種の流行語となった。
その鈴木大地。2000年にはボストンのハーバード大学で水泳のコーチをしたりしていた。2000年の冬だったろうか。ある日僕がボストンのコインランドリーで洗濯をしていると、鈴木大地がそこにいるではないか!!さすがにかなりぶったまげた。12年前、日本全土を熱狂させた鈴木大地がこんなところで洗濯をしている。例えて言うのであれば、荒川静香さんを10年後に外国のコインランドリーで見かけてしまうようなものだ。
当時は鈴木大地がボストンに滞在しているなどと言う事も知らなかったかたら本当にたまげた。思わず「鈴木大地さんですよね?」と話しかけてしまった。少し会話をしたが、そのときにハーバードで水泳のコーチをしているということを教えてもらった。

野球。当時公開競技であったが、ここで日本は銀メダルを獲得する。野茂英雄、古田敦也、 野村謙二郎、そして塩崎哲也などそうそうたる面子がメンバーにはいた。その後の彼らのプロでの活躍にここでは言及しないが、皆すばらしい活躍をしている(した)ことだけは明記しておく。
決勝では隻腕ピッチャーのジムアボットに完投を許し銀メダルに終わる。アボットはその後メジャーにドラフト指名され、1991年には18勝11敗というすばらしい成績を残している。右手の手首から先がない、と言う野球選手としては致命的と思われる障害を克服してのこの成績は本当にすばらしいと思う。
サッカーはソ連が優勝。ソ連が決勝でブラジルを破り優勝した。戦後ほぼずっと東側の国々がオリンピックを制してきたわけだが、この大会が東側の国が優勝した最後の大会となった。
その事情に関して書くと非常に長くなってしまうので、興味のある人は
このページなどを参照されたい。この大会、後にスーパースターとなるロマーリオが7得点で得点王。
オリンピックの出場規定1992年からは23歳以下の選手と言う事に落ち着いているが、色々と変遷を経て来ている。この1988年当時は、ワールドカップに出場した事のない選手ならプロでも参加が認められていた。その事情に関しても上記のリンクを参照していただければと思う。
レスリングでは日本が二つの金メダル。48キロ級の小林孝至と52キロ級の佐藤満だ。日本のお家芸とも言われたレスリングだが、男子レスリングのオリンピックでの金メダルはこれ以降出ていない。日本男子レスリングが再び世界を相手に活躍する日が待たれるところである。
体操では清風高校の高校生コンビ、池谷幸雄と西川大輔が活躍し、団体で銅メダル。西川のあん馬での10点満点の演技は今でもはっきりと覚えている。
さて1984年と1988年のオリンピックについて長々と書きましたが、1992年のオリンピックになってしまうと書いても書いても書き足りないくらい書く事があるので、それはまたちょっと先の機会にしようかと思います。特に1992年のバルセロナ夏季五輪なんかは毎日毎日テレビにかじりついていたので、ものすごい量のネタがあります。バルセロナに関してはマジでそこら辺のスポーツジャーナリストに負けないくらいのマニアックです。それは今後ちょっとずつ小出しにしていこうかと思います。