この夏アメリカから7年ぶりに日本に帰国した、さすらいの29歳の男のブログ。
ネタにはこだわらず、アメリカで僕が学んだこと(政治、語学学習、ラテンアメリカの事)、
スポーツネタ、社会ネタ、日本、アメリカの事、またはちょっとした雑感などを綴っていきます。

All the little things will add to a happy journey......

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Green Bay Packers [2006年10月05日(木)]
火曜日の深夜、BS1でアメリカンフットボールの試合を見た。
カードはGreen Bay PackersPhiladelphia Eaglesの試合。全米が注目するModay Night Footballだ。フットボールの試合は普通日曜日に行われるが、一試合だけは月曜日の夜に行われる。それがMonday Night Footballだ。

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(Green Bay Packers running back Noah Herron (23) runs over Philadelphia Eagles safety Michael Lewis (32) in the second quarter of their football game Monday, Oct. 2, 2006, in Philadelphia.) (AP Photo/Rusty Kennedy)


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(Green Bay Packers tackle Corey Williams (99) misses a scrambling Philadelphia Eagles quarterback Donovan McNabb in the third quarter of their football game Monday, Oct. 2, 2006, in Philadelphia. McNabb ran for two touchdowns and threw for a pair, leading the Philadelphia Eagles to a 31-9 victory over the Green Bay Packers on Monday night.)

フットボールは基本ルールしかわからないし、あまりエキサイティングなものとして見たことはない。そんな、めったにフットボールなんか見ない僕がなぜわざわざ深夜にこの試合を観戦したのかというと、パッカーズというチームが好きだから。加えて、日本でパッカーズの試合が放送されることなんぞ、年に一度あるかないかだから。

アメリカに初めてわたったときGreen Bayの隣にあるDe Pere(ディピア)という小さな町で語学学校に2ヶ月ほどだけ通ったことがある。基本的に東京育ちの僕にとって、ウィスコンシン州のその町は果てしなくド田舎なところだった。ディピアに着いてすぐにグリーンベイ観光案内の小冊子を渡されたのだが、ドでかいスタジアムの写真を見て、「こんなスタジアムがここにあるなんて嘘に決まってる!」とY氏などとしゃべったりしたものだった。田舎にスタジアムがあるくらいならまだ信じられるのだけれど、スタジアムの創造なんぞまったくつかないくらい、物凄くのどかなところだけに本当に信じられなかった。
(下の二枚がスタジアムの写真。上の写真は改築前。下は2003年に改築された後のもの。日本じゃ絶対にあり得ない、広大な駐車場に注目!!)


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さて、BS1の放送は英語にしたり日本語にしたりしながら見ていたのだけど、日本語で聞いているときに解説者がグリーンベイという町について語りだした。その解説者が何を言ったかというと・・・・・
(以下、覚えている範囲で引用)

グリーンベイって言うのはねぇ、本当に片田舎ですよ。あの〜青森の方には失礼なんですが、グリーンベイというのは本当に青森のはずれのような町なんですよ。いや、本当に青森の方には失礼なんですけれどね。パッカーズは昔から人気がありますけれどね。そんな片田舎のフットボールチームの人気を支えているのはやっぱりファーヴ(パッカーズの名クオーターバック)ですよ。

僕がグリーンベイに滞在した期間は短かったけれど、グリーンベイに滞在中に僕はパッカーズが興味を持つようになった。僕のアメリカの生活が始まった小さな町。そんな町のシンボルであるパッカーズというチーム。熱狂的なファンというわけではないけれど、やはりテレビで見ると応援せずにはいられない。一度惚れた女に対するような感情でしょうか。

僕が住んでいたボストンとニューヨークにもフットボールのチームはある。ボストンの近郊には2002,2004,2005年のスーパーボールを制したNew England Patriotsというすばらしいチームがあったし、ニューヨークにはNew York Jets と New York Giantsというチームがある。
この中でペイトリオッツは結構好きではあるけれど、やはり僕はパッカーズというチームの方が常に気になる。

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(写真は、2002年2月にペイトリオッツがスーパーボールを初めて制した次の日Boston Globeの一面。ペイトリオッツの本拠地のマサチューセッツ州で発行されている新聞だけあって、見出しも記事も歓喜に満ちた内容になっている。)

そのパッカーズを代表する選手はなんと言ってもQB(クオーターバック)のBrett Favre(ブレット・ファーヴ)だ。ここまでに225試合連続先発出場。年間16試合しかない上、に常に怪我が付きまとうフットボールというスポーツにおいてのこの記録はまさに驚異的だ。Jリーグや世界のプロサッカーリーグでも毎年全試合出場を重ねる選手などの話は聞いたことがない。15年にわたって連続試合先発出場記録を重ねるファーヴの記録は、MLBのCal Ripken の2632試合連続出場(足掛け17年)、日本のプロ野球の衣笠祥雄の2215試合連続出場(足掛け18年)などを超えるレベルの記録といってもいいのではないかと思う。
このファーヴという選手は、アメリカのスポーツ界において生きる伝説の一人なのだ。

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そんなファーヴを要する、グリーンベイパッカーズというチーム。
興味をもたれた方はぜひ応援しましょう。
そしてすでにファンの方は末永くファンでいましょう。
Posted at 22:00 | スポーツ | この記事のURL | Clip!!
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2016年五輪誘致 [2006年09月04日(月)]
2016年の夏季五輪の開催地。日本からは福岡と東京が国内立候補地として名乗りを上げたわけだが、8月30日に国内立候補地は東京で決まった。

2009年のIOC(国際オリンピック委員会)総会で開催地が決まるわけだが、それまでの3年間東京は五輪誘致の運動をして行くことになる。

先日NHKのテレビ番組でこの話題が取り上げられていた。その中でインタビューに答えた一般市民の方々の意見は賛成・反対両論あったわけだけれど、どちらかというと「賛成」という意見をサポートして行くような番組構成だと感じられた。

コメンテーターとして番組に出ていたよく分からないオジさんは、1964年のオリンピックを体験していたく感動したそうだ。「あの感動をもう一度若い人にも体験してほしい」というようなことを盛んに言っていた。それから東京に長く住む初老の男性も同じ意見をカメラに向かって力強く言っていた。そして、1964年のオリンピックを体験したことのない若い世代も同じような意見を言っている人がいた。

彼らの気持ちは分かるのだけれど、1964年のオリンピックと2016年のオリンピックはそもそも根本的に意味が違ってくる。この二つは似て非なるものといってしまっていいと思う。1964年(昭和39年)のオリンピックは日本が高度成長期の真っ只中にある中で開催されたオリンピックだった。

1960年ローマ(イタリア)、1964年東京、1968年メキシコシティー(メキシコ)、1972年ミュンヘン(西ドイツ)。この流れを見れば一目瞭然のごとく、この時期のオリンピックには戦後復興と経済発展を象徴しさらにはそれらを促進するものだった。

(注:メキシコシティーでのオリンピックは、当時のメキシコの発展の一つの集大成だった。ローマ、東京の次であるということは、メキシコが同じ発展過程をたどって行こうとする意志と願望の表明だった。結局メキシコはその発展過程において失敗したわけだが、それについてはまたいつか。)
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1964年のオリンピックは、まさに日本国民にとって「特別」なものだった。
当時の日本政府はこのオリンピックを戦後日本の復興を世界に示すための国家的行事と位置づけた。鉄道、高速などのインフラ整備をはじめとして、東京じゅうで開発事業が進められた。首都高速道路、東海道新幹線などの建設が急ピッチで進められ、さらには名神高速などの建設も着工され始める。オリンピックにあわせて、1964年に世界最速の列車である新幹線が開通。
この時の急ピッチでの工事がなければ、日本のインフラ事情は大分違っていたと思われる。今の我々の暮らしを変えるほどの、日本史上で大きな意味をもった行事だったわけだ。

それはこ本にもよくあらわされている。 東京風景3 オリンピックへ ! 東京大改造 1962〜1964

1976年以降のオリンピックは1960年代とは明らかに様相が違う。1976年モントリオール(カナダ)、1980年モスクワ(ソ連)1984年ロサンジェルス(アメリカ)。この3大会は、第二次大戦の敗戦国ではなかった。さらにいわゆる経済的に裕福な国で開かれた。ここら辺からじわじわとアメリカの払う放映権料というオバケを気にしながらのIOCの大会運営が始まることになる。さらに、1970年代後半から急激に汚職・腐敗に染まりだしたIOCの職員たちは、各国の招致委員会のメンバーから賄賂を次々と受け取るようになる。

1984年、莫大な放映権料での収入が見込まれるアメリカのロサンジェルス。1988年は名古屋とソウルの誘致合戦、韓国スポーツ界のドンと言われた金雲龍が東側(共産圏)のIOC委員を巧妙に取り込んだため大逆転でソウル。1992年、当時のIOC会長であったサマランチの出身地のバルセロナ。1996年、アトランタ―再び放映権料のアメリカ。オリンピックという名を借りて、金に目のくらんだ人間どものところにばかり金が転がり込むようなシステムが出来上がってきた。2000年のシドニー五輪も金銭受諾、贈収賄などの疑惑にまみれた挙句の開催だった。

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1999年ごろになって、ようやくそのIOCという組織に少しずつメスが入れられるようになって賄賂の問題などは多少減ってきた。しかし依然として、1980年以降のオリンピックは先進国(特にアメリカ)の放映権料や投資家の投資の対象でしかなくなってしまっている。

21世紀に入った現代のオリンピックはもはや復興や発展の象徴ではない。金がほしい人たちのところにばかりお金が入る、またはすでに名のある国際都市の知事などのお偉いさんたちのためだけにあるような大会になってしまっている。IOCは、最大のスポンサーであり莫大な放映権料を支払ってくれるアメリカの機嫌を、さらには世界の投資家たちのご意見を伺って、開催地を決めないといけないような状況だ。

東京に2016年にオリンピックがやってきたとしても、それが一般の日本国民ひいては東京都民にもたらしてくれるのかは分からない。これだけ人とモノが溢れかえっている東京でさらにスタジアムを建設してどうしようというのか。行くところにお金は行くのかもしれないけれど、それで国民は喜ぶのか。東京都民が欲しているのは「新国立競技場」なんかじゃなくて、家族と汗の流せる大きなスポーツ施設じゃないのか。あまりにも全てが東京という一極に集中しているこの日本という国において、さらに東京のプレゼンスを内外に高めてなにかいいことがあるのか、などの疑問は尽きない。

個人的にオリンピックは大好きだから東京でやってくれたら必ず観戦はしに行くと思う。だけど、その後に日本国民に何がもたらされるのかというビジョンをしっかりと示してほしいと思う。

ちなみに2016年のオリンピックは、ブラジルのリオディジャネイロも立候補の意志を表明している。
1980年の「失われた10年」といわれた停滞経済を乗り越え、少しずつ再び台頭してきているブラジル。この先のサトウキビから原油精製、海底油田の掘削、ベネズエラ、中国などとの提携、さらにはメルコスールの更なる発展により、大きな発展を成し遂げる可能性が大いにある国。
こういう国でオリンピック開催が成功すれば、北米と南米の経済的なパワーバランス上もいいのではないかと個人的に思っている。

東京、リオディジャネイロに加え、アメリカからはシカゴ、ロサンジェルス、サンフランシスコなどが名乗りを上げている。さらにヨーロッパからはローマ、マドリッドなどが、そして中東からはUAEのドバイ、さらにアジアからバンコク、北米からカナダのモントリオールなどもどうやら続々と立候補地として名乗りを上げるようだ。スポーツ評論家の玉木正之氏などはアメリカは20年に一度はオリンピックを欲しているのだという持論を展開しているので、それが本当だとすればアメリカのどこかで決まるのかもしれない。

この招致合戦。僕は個人的に北米、南米の争いとなるのではないかと踏んでいる。そのときにその2つがどういうビジョンをもって誘致活動を展開するのか。そして、アジアの各都市がどうそこに絡んで行くのか。また、開催地が決定される2009年のIOC総会の時点での北米、南米、アジアそれぞれの地域の経済的な力関係なども含めて、興味をもって誘致合戦を観察して行こうと思う。
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高校スポーツの意義 [2006年08月23日(水)]
昨日の高校野球ネタについで、今日は高校におけるスポーツ(部活)の意義や意味などについて。

早実の斉藤君、本当に頑張った。だけど準々決勝、準決勝、そして決勝と決勝の再試合、全部で4連投・・・・。しかも4連投が始まる前々日にも3回戦で投げているので、6日間で5試合を投げた事になる。実にたった6日間で51イニングだ。普段やっている練習を考えたら、あれくらい投げるのも普通なのかも知れないけれど、あれはどう考えても酷使という奴だろう。彼の肩はおそらくあれが理由で壊れることはないと思うが、さすがにあまりに投げすぎであったことに間違いはないだろう。

アメリカで17歳、18歳の少年にあんだけ連投させたら保護者が出てきて監督が訴えられたりしそうだ。冗談抜きで。「うちの子供をつぶす気か!!」とか言いながら。実際、4連投というのはそれほどまでに非常識な事なのだ。
(個人的には、日本の高校野球で当たり前のようになっている4連投も極端だと思うし、すぐに親がコーチを訴えるようなアメリカも極端だと思う。)

日本の高校の部活動とアメリカの高校のいわゆるクラブ活動。何が違うのだろうか。出来るだけ公平な目で分析してみる。
(今から述べるのは一般論であって、もちろん全部がそうだと言うわけではありません。)

まずは日本。基本的に、ある程度まじめにやっている高校の部活と言うのは上下関係や練習内容などは結構厳しいところが多い。顧問の先生とかも非常に厳しかったりする事が多い。ちゃんとプレーしないとコーチ(顧問)に怒鳴り飛ばされたりするからと言うので、怯えながらプレーする選手も結構多い。ありえない程走らされ、上には絶対服従しなきゃいけないような世界。もちろん全部が全部そうではないけれど、高校の部活って結構そんな感じの所が多いのだ。練習の日程にしたって、オフなんシは存在しないような部活も結構多い。(僕は男子校でサッカー部にいたので、女子高の部活動の事とか女子の部活の事とかはイマイチ分からない。なので、ここで語っているのは基本的に男子がやる高校での部活の事です。)

かたや、アメリカの中学や高校におけるクラブ活動やスポーツ活動を見ていると大分ちがう印象を受ける。コーチ陣は檄を飛ばすことはあっても、鉄拳を振るうことなどは絶対にありえない。「グラウンドに立てば鬼」みたいなコーチってアメリカには少ない。また、英語には基本的に敬語というものは存在しないので、先輩やコーチにも「○○さん」「△△先生」などと呼ぶ必要もない。ものすごい量を走らされることはあっても、「しごき」や「罰」としての走りは基本的にはほとんどない。一年の間に、必ず数週間以上のオフは存在するし。コーチが鉄拳を振るうことなどがあろうものなら、かならず保護者が飛んできて大問題となる。また一人の生徒を集中的に怒鳴り飛ばしたりしたら、保護者が出てきてコーチは文句を言われたり。

日本的なやり方とアメリカ的なやり方、どっちがいいのかなんて言うのはまったく分からない。高校時代に日本のサッカー部に身をおいたものとしては、アメリカの中学生高校生のチームスポーツの練習などを見ると拍子抜けしてしまう。練習内容も日本の部活の練習より多少大らかな気はするけれど、何よりも選手の表情などが大らか。大らか過ぎるほど大らかなのだ。

日本の部活では「声出せよ!!」とか「気合入れてこうぜ!!」みたいな掛け声ばかりを皆で厳しい顔して常に掛け合ったりする場合が多い。僕の感覚からすれば、練習とかってそういう風に声掛け合ってやるものだと思っているのだが、やはり個人主義の国のアメリカは違う。アメリカの練習はお互いに向かって「気合入れろ」とかは言わずに、個人の裁量に気合入れるか入れないかは委ねられている。

こうしてみてみると、日本の高校の部活と言うのは、やはり集団生活を送ることが出来るような人間を育てるため、さらには精神鍛錬のためと言う目的も多分に含まれているのだろう。だからドラマ「スクールウォーズ」みたいな世界はあちこちで展開される。(皆さんはスクールウォーズご存知でしょうか?20年以上前のドラマです。)

僕は大いに自分で疑問と矛盾を感じる。

僕は日本社会にちゃんとフィットできるような下地を高校の時にしっかりと部活で築いたはずなのに、いまやもう日本の上下関係バリバリの世界にはついていけない。集団行動というものを厳しくやっていたはずなのに、今の僕はかなり個人主義。いったい何を学んだのかと思ってしまったりもする。

でも、高校の時にへたくそで体力も大してなかった僕が3年間部活を続ける事が出来たこと、そして80メートルくらいのダッシュを20本とか30本とかやらされても走ることが出来たこと。それはやっぱり自信になった。

どんな状況の中でも一生懸命やれば何か少しは得るものがあるという事かな。ある程度強い部活で一生懸命練習すると言う経験はしておいてよかったと思う。もしも自分に息子が出来て、日本で育てることになったら強制に近い勢いで部活やらせそうな気がするな。嫌と言われればしょうがないけど。
なにか話題がずれてきたな。

もうちょっと部活の意義などについて論じようかとも思ったんだけど、とりあえず今回は日本とアメリカにおけるクラブ活動の概観、でした。
Posted at 10:56 | スポーツ | この記事のURL | Clip!!
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高校野球決勝 [2006年08月21日(月)]
夏の甲子園、早稲田実業対駒大苫小牧の決勝。昨日の15回の死闘の末、再試合となった今日の試合は接戦の末に早実が制した。

高校野球の決勝をじっくり見たのは何年ぶりだっただろう。昔の記憶をがんばってたぐり寄せる。ここ10年の間の高校野球で、はっきりと覚えていて印象に残っているのは8年前と10年前くらいだ。8年前の決勝も、10年前の決勝もすごく印象的だったけれど、昨日そして今日の二日にわたる今年の決勝はその二つと並ぶくらいすごく印象的だった。

8年前、横浜高校の松坂大輔の京都成章相手の決勝でノーヒットノーラン。準々決勝ではPL学園相手に17回、250球を一人で投げきる熱投を演じる。

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10年前、熊本工業対松山商業の決勝。
熊工先発園村、松山商業先発は新田。背番号10番のピッチャー同士の見ごたえのある投げ合い。試合は3対2で9回裏、熊工の攻撃。2アウトランナーなし。あと一人で松山商業の勝利。ここで、熊工一年生沢村のあまりにも劇的な同点ホームラン。うずくまるピッチャー新田。松山商業のファーストを守っていた今井はすかさず新田に駆け寄る。ドカベン今井と言われたこの今井という選手は、体は太かったがバットスイングが異様なほどに早く、彼の打った打球は常に高校生のものとは思えないようなものだった。真偽のほどは定かではないが、今井は新田に向かってこう言ったとされる。
「立てよ。まだ終わっちゃいねぇんだよ。」
立ち上がった新田は後続を抑え、試合は3対3の同点のまま延長戦へ。
10回裏、サヨナラのチャンスをつかんだ熊工。一死満塁からライトへの大飛球。誰もが犠牲フライで熊工のサヨナラ勝ちが決まったと思ったが、松商ライトの矢野が「奇跡のバックホーム」で三塁ランナーを刺してしまう。結局試合は11回表に3点を奪った松山商業が勝ち、見事優勝を飾った。

時は流れて、高校球児も僕よりも大分若い年齢になった。

今大会は、なんと言っても早実のエース、斉藤祐樹君の頑張りが素晴らしすぎた。15回の表、最後のバッターを相手に140キロ以上の直球をバンバン投げ込み、その次の日の再試合でも前日の疲れを感じさせない投球内容と球のスピード。楽天の野村監督も西武のコーチで早実のOBの荒木大輔も、早実の偉大なOBの王貞治も皆が絶賛したその投球内容。プロに早くから注目されている駒大苫小牧の田中将大君をも圧倒するほどの素晴らしさだった。決勝の再試合も含めて全部で7試合。なんと69イニングを投げぬき、さらに78奪三振を奪う力投。それを支えた後藤、船橋などの打撃陣の頑張りも素晴らしかった。

試合を見たのは決勝も含めて3試合程度で、主に試合結果はニュースなどでチェックする程度だったけれど、印象に残ったチームや選手は今大会結構たくさんいた。鹿児島工の代打の切り札、今吉晃一君の雄叫び、帝京のホームラン攻勢、日大山形の青木君のピッチング、日本最南端からやってきた沖縄代表、八重山商工の活躍。

野球の楽しさを久々に感じさせてくれるような大会だった。
高校球児の皆さん、暑い中本当にお疲れ様でした。
Posted at 21:30 | スポーツ | この記事のURL | Clip!!
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1991年 世界陸上 [2006年06月04日(日)]
またもや大分昔に書いたものをなーんとなくアップします。今日はスポーツネタで。

――――――――

1991年夏。世界陸上が東京で開催された。中学2年生だった僕にとっては非常に思い出深い大会だ。

この大会が開催される少し前、母が珍しくTVガイドという雑誌を買ってきてくれた。TVガイドのその号の特集は「世界陸上」。僕はその雑誌の世界陸上特集をくまなく読んだ。ここら辺から僕は多少スポーツの記録とかに対してマニアックになっていった気がする。

高校生の頃は、陸上と水泳の日本記録と世界記録を全て暗記していたし、Jリーグの選手の名前もほとんど全て知っていた。スポーツジャーナリストでも目指すべきだったかな?

それはともかく、その雑誌でくまなく世界陸上に関して「予習」をした僕は、本番のテレビ放送もかなり楽しみながら、そしてドキドキしながら観戦した。日本テレビが独占放映件を得て、日本テレビでは一日中この世界陸上を放送していたような記憶がある。

この大会、100メートルで優勝したのはカールルイス。9秒86と言うすばらしい世界記録だった。当時の世界記録はリロイ・バレルが同年に出した9秒90。その記録を0.04秒更新した。更に2位のバレルも9秒88でゴール。8人中6位までが9秒台でゴールすると言う非常にハイレベルなレースだった。
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また、このレースのあとスタンドから長島茂雄氏が「カール!!カール!!」と何度も呼びかける姿は一つの「長島伝説」ともなっている。

25mike.jpg走り幅跳びは、今まで世界で行なわれた走り幅跳びの中でもっともレベルの高い争いとなった。2006年の現在になっても、これを超えるレベルでの争いはまだ世界にはない。

当時の走り幅跳びの世界記録は1968年、高地のメキシコで出されたボブ・ビーモンの8メートル90。68年当時の世界記録を55センチも上回る驚異的な世界記録だった。当時、このレコードは21世紀まで破られないだろうとも言われていた。実際、この世界記録は長い事破られずに、1991年の時点でもまだ世界記録として残っていた。

しかし、1991年のこの大会で、カールルイスとマイクパウエルの二人が世界記録に迫る大ジャンプを立て続けに見せる。カールルイスが8メートル80を超えるジャンプを立て続けに見せ、更に追い風参考ながら8メートル91と当時の世界記録を上回った。カールルイスが8メートル91を飛んだ時点で誰もが彼が勝つのだろうと思ったが、パウエルはなんとそれを上回る8メートル95の世界新記録。踏み切り板の横で旗を揚げる係のおじさんにまで抱きついて喜びを表したパウエルの姿は非常に印象深い。



また、この大会はソ連が「ソ連」という名前で世界大会に選手を送った最後の大会であった。(はずだと僕は思う)翌年の1992年のバルセロナオリンピック当時、ソ連はすでに解体しており、旧ソ連は緩やかな国家連合の「EUN」という名前で参加した。これは、それぞれの国が新設まもなく、旧ソ連が統一した選手団を送ることとした為だ。選手はCIS所属という事となったが、その際はフランス語のEquipe Unifiée から EUN と表記された。

1991年、世界政治という観点からモノを語るとあまりにも色々なことがあった。ソ連という国がこの頃まだあったかと思うと少し不思議な気分だ。

男子50キロ競歩で最後までデッドヒートを繰り広げたソ連のポタショフとぺロフ。最後の直線でもまったく譲らずどうなるのかと皆が固唾を呑んで見守るなか、なんとこの二人は仲良く肩を組んでゴールに飛び込んだ。公式記録ではポタショフが一位ということになったが、二人の健闘をたたえながらのゴールは見ていてもなかな悪いもんではなかった。

これを見て思い出したのは1936年ベルリンオリンピックでの西田と大江の友情のメダル。リンクもつけましたが、一応抜粋文も張ります。

【1936年(昭和11年)8月にドイツ・ベルリンで開かれたベルリンオリンピックに棒高跳び日本代表として参加した大江季雄と西田修平。決勝に残ったのはアメリカのメドウス選手と同じく日本代表の西田・大江ら5人であった。決勝ではメドウスが4m35cmを跳び金メダル。2位は4m25cmを跳んだ大江と西田となり、裁定は日本側に委ねられた。そして4m25cmを一回で跳んだ西田を2位、2回目で跳んだ大江を3位と発表された。

しかし表彰台に登る間際、西田は後輩・大江のこれからの活躍を願い、大江をそっと2位の表彰台へと送り出だす。大江が憧れ、そして目標としていた先輩・西田から譲られたオリンピック2位の表彰台は、大江のかけがえのない喜びとなり、帰国後、2人はお互いに健闘を讚え合い銀と銅のメダルを繋ぎ合わせた。その後の大会で、大江はメドウスに雪辱を晴らし、その後も4m35cmを跳び、その後の21年間、日本記録保持者としてその名を残す事になった。】

ちなみに大江は太平洋戦争に出兵し、敵の銃弾を浴び27歳の若さで逝去した。

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男子マラソンでは、谷口浩美が金メダル。真夏の暑さが厳しい東京でのマラソンは危険だという事で、マラソンだけは北海道で分離開催しようと言う案もあったのだが、暑さを避けるため朝6時スタートで東京で行なわれた。朝6時とは言え、暑さの厳しい東京の中を谷口は2時間14分57秒で走りぬいた。記録こそ平凡だったが、四谷付近のあの坂を苦しい顔をしながら登る谷口の姿は忘れがたい。すばらしい金メダルだった。

女子マラソンでは、山下佐知子が銀メダル。2000年の高橋尚子、2004年の野口みずきとここ最近続く女子マラソンの栄光の下地を彼女が築いたといっても過言ではないだろう。

1991年の夏に様々なドラマを生み出した世界陸上。来年、2007年は大阪で開催されます。
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WBC 動画特集 [2006年03月23日(木)]
見逃した!という方のために・・・・・
WBC動画特集です。
おまけ(他のスポーツ)の動画も3本ほどつけて見ました。


準決勝 対韓国 福留の2ランホームラン

http://youtube.com/watch?v=OZTWp53cnxQ

優勝した瞬間
http://www.youtube.com/watch?v=qnb0YeKJjoI&search=wbc

シャンパンファイト
http://www.youtube.com/watch?v=Na8n8Mo0d1Q&search=wbc

シャンパンファイト イチロー

http://www.youtube.com/watch?v=6Js63Px_L9A&search=wbc


イチロー・松坂・王監督 記者会見

http://www.youtube.com/watch?v=jnxpwFCBlDc&search=wbc


おまけ ボクシングとフィギュアスケート

ボクシングファンのあなたへ送る 衝撃の23秒KO決着した亀田大毅のデビュー戦動画

http://www.youtube.com/watch?v=x-CGX7yNAak


荒川静香 金メダル 動画

http://www.youtube.com/watch?v=mdrbOJY9Haw


荒川静香 凱旋 シアターオンアイス 2006

http://www.youtube.com/watch?v=dlNTjpK30eM&search=Shizuka%20ARAKAWA%20%20Figure%20Skating
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日本優勝!! [2006年03月21日(火)]
ワールドベースボールクラシックで日本が優勝した。アメリカのテレビで生放送を見ていたけれど、素直にうれしかった。サッカー、バスケ、ハンドボール、バレーボールなどと色々な団体でするスポーツがあるけれど、どのスポーツでも世界一はかなり遠くにある。団体競技で日本が世界一になれるスポーツなんてこの野球くらいではないか。マイナーなところで言うと、体操とかもあるけれど。

日本でこれほど野球が盛り上がった事ってそうそうないんじゃないかと思う。僕は日本にいないからどれだけ盛り上がったのか実感は出来ないけれど、視聴率だとか、インターネットでの人々の騒ぎ方などを見るとサッカーのワールドカップ並に盛り上がったことが伺える。
野球人気の低迷が叫ばれる中、日本野球の更なる発展にとってもすばらしい大会になったと思う。

さてさて、前回はイチローのことを書いたけれど、今回は監督王貞治について少しだけ書いてみます。彼の偉大さについて。王さんは本当に偉大なんです。

img20060321.jpg

ESPN(アメリカのスポーツチャンネル)でも王さんのことはオーサン、オーカントクなどと呼んでいた。そして彼は日本の伝説的プレーヤーであるということを何度も紹介し、王さんに敬意を表していた。

王さんの残した記録はあまりにもすごい。何せ通算868本のホームランだ。日本球界歴代2位の野村克也のホームラン数は657本。そして3位の門田が567本。70年以上続く日本野球の歴史で500本以上のホームランを打った選手はたったの8人。550本以上となると上記の3人だけだ。3位の門田に300本以上の差をつけ、2位の野村にも200本以上の差をつけているところからもこの記録の偉大さが分かると思う。


更に、王さんは実に13年連続を含む通算15回のホームラン王に輝いている。しかも毎年ホームランダービーで2位の選手に10本から20本の差をつけてホームランキングに輝いていた。一人だけ傑出していたのだ。


更に、オールスターで13本、日米野球で23本、そして日本シリーズで29本。他の細かいオープン戦などの記録も入れてしまうと、通算1000本以上のホームランを打ったとも言われている。彼はまさに生きる伝説だ。

世界の全ての野球リーグの中で、一番沢山ホームランを打ったのが王貞治。本当に世界のサダハル・オーなのだ。

なんだかもっと色々と書きたかったんだけど、彼のホームランの記録を羅列するだけのような文章になってしまった。

とにもかくにも、王さんは本当に、本当に偉大なのです。
その事を少しでも伝えたくて書きました。

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日本優勝おめでとう!!そしてありがとう!!

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WBCとイチローと [2006年03月18日(土)]
WBCについて書きたいのだけど、ちょっとイチローについて思った事やなんか書いて見ます。イチローのことといっても僕は野球を本格的にやった経験はないし、技術的なことやなんかどうこう言おうとは思わない。

ちょっと野球から話がそれるのだけど、イチローの英語について思った事とか。06031803ichiro_GRA00119G060317T.jpg

アメリカ生活十年ほどで、今は日本に住んでいる女性が一次リーグ(日本ラウンド)が終わったあと、こんなことを言っていた。

「野球にうとい私ですら見入ってます、王Japan。韓国戦はホント残念だったね〜。一つ気づいたんだけど、イチローくんは試合中英語でSwearingをしてるよね。アメリカ生活ももう何年?仕方ないっちゃ仕方ない。そういう自分もついついOuchとかOopsとか発してしまいます。アメリカナイズドされている典型だから、辞めたいと常々思ってはいるのですが…。って話それてる? 」

Swearingというのは、要するに汚い言葉を使う、という事。僕の知り合いのブログに書かれたコメントを勝手に抜粋してるんだけど。(勝手に抜粋させてもらいました。「あ」さん、ごめん!!)

これを読んだとき、へーそうなんだーとちょっと思っただけだった。

しかし、二次リーグが終わったあとにスポーツ新聞のサイトなどを見てみると、この発言を裏づけするような記事が各スポーツ新聞に載っていた。イチローは二次リーグの韓国戦で敗れた時に、試合後、FUCK!!!! と叫んだらしい。どうやらそれがブラウン管を通して日本のお茶の間の皆さんにまで聞こえてしまったという噂が・・・。

このイチローの発言を僕は責める気もなければ褒める気もない。ただ、イチローがそんな言葉を使うなんて、面白いな〜と思っただけ。もう海を渡って丸5年が経ったイチロー。普段男くさいメジャーリーガー達に囲まれてれば、そんな言葉を覚えてしまうのはいたって普通でしょう。

だけど、他の日本人選手はそれを見て(聞いて)どう思ったんだろう、なんて少し思ってしまった。あるいはテレビを通してそのイチローの発言を聞いた日本人はどう思ったんだろう。結構多くの人がみんなギョッとしたんじゃないかな。

野茂が海を渡る30年前、一人の日本人がメジャーで実は投げている。村上雅則。通称マッシー村上だ。彼は南海ホークスから野球留学でアメリカに渡り、あれよあれよと予定外のメジャー昇格を果たしてしまい、2シーズンをアメリカで過ごした。まだ彼が二十歳くらいの頃だ。若かったし、おそらく通訳もいなかったのだろうし、周りに日本人なんかいなかったのだろうから、大分英語を沢山覚えたのだろう。昭和41年(1966年)、21歳で日本球界復帰を果たした彼は、マウンド上でも思わず英語を喋ったりしてしまっていたらしい。これはあくまでも噂だが、マウンド上で彼の口から思わずoてきてしまう英語の数々は、相手チームの選手、更には味方の選手にまで嫌がられたという噂を聞いた事がある。まぁ彼はそれにもめげずにそこそこ活躍したのだが。

僕はもうアメリカ生活が7年くらいになるし、誰がFuckとかShitとか言っても驚かないけれど、日本にずっといる人とかにとってはこれって驚きだと思う。思いっきり日本人なのに、その人がいきなりShit!とか言い出したら、普通の日本人だったらギョッとするだろうねぇ。

ひょっとして、マック鈴木が日本で活躍できなかった理由はこれじゃないだろうかとも思う。マック鈴木も試合中に英語を使ったりしてそれが皆に嫌がられたのかもしれないし。彼の場合は日本の野球を少しなめていたのかもしれないし、技術的な理由もあったのだろうけれど、もっと大きな理由は彼がアメリカナイズされすぎてたからかも、だったりして。彼の肌に日本野球は合わなかったのではないか。アメリカナイズされた日本人というのは日本球界では嫌がられそうだし。
日本の野球界の上下関係というのは、日本社会の中でも特に日本的なところだと僕は思っている。アメリカナイズされた人間にとってはあまりあわないところなのかもしれない。

まあ海外での生活が長くなると、思わず口をついて外国語が出てくる事もしょうがないんですよ。日本にいる皆さん、周りにそういう人がいても温かい目で見守ってやってください。
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1988年のオリンピック [2006年03月17日(金)]
前回に引き続き、オリンピックネタで行ってみます。
今日は、1988年のオリンピックの話です。

1988年の冬のオリンピックはカナダのカルガリー。そして夏は韓国のソウル。ここら辺になってくると僕ももう10歳なので大分はっきりした記憶がある。

カルガリーオリンピック

日本人のメダルは黒岩彰がスピードスケート男子500メートルで獲得した銅メダル一つだった。1984年のサラエボで惨敗した彼にとっては感無量のメダルだった事だろう。

日本人の活躍として印象に残ったのは伊藤みどり。天才少女と名をはせた彼女。男子選手にも負けないその圧倒的なジャンプの高さと技術はすばらしかった。しかし、カルガリーの金メダリストのカタリナ・ビットは「観客はゴム毬がはねるのを見にきているわけではない」と、伊藤みどりを暗に揶揄するような発言をする。この発言と、伊藤みどりの抜群の運動能力を示すその演技の狭間で、一部でフィギュアスケートは芸術なのかスポーツなのかという論争も巻き起こったりした。

カタリナ・ビットは伊藤みどりの演技を芸術的ではないと言いたかったのかも知れないが、カルガリーの観客は伊藤みどりのその演技にスタンディングオべーションを送った。そして、本来メダリストしか出場の許されないエキジビジョンに参加する栄誉を得た。このときのスタンディングオべーションは僕の記憶にもはっきり残っている。

スキー、ジャンプのニッカネン。抜群の強さを発揮して3つの金メダル。ラージヒル、ノーマルヒル、そしてこの大会から採用された団体でも金メダル。nykanen05.jpg

彼は現在の主流であるV字飛行を各選手が取り入れだす前の最後のオリンピックチャンピオンとなった。平行にそろえたスキー板を体の正面からわずかにずらし、風の抵抗を大きく受けるようにして飛距離を伸ばしていた。彼のこの飛行体勢が後のV字飛行の元になったとも言われている。

しかし、彼はその後、転落人生を歩む。アルコール依存症、ポルノ雑誌で脱ぎ、さらにストリップショーへの出演。結婚離婚を繰り返し、更正したと宣言してはまた同じようなことを繰り返す。さらには飲酒絡みの暴行を繰り返し逮捕され、現在はなんと殺人未遂で服役中とか。このフィンランドの英雄の転落を描いた映画は今年一月ヨーロッパで公開されたらしい。何が彼を転落させたのか。この映画、機会があれば是非見てみたいと思う。


ソウルオリンピック

1988年のこの夏季五輪、誘致合戦で名古屋をかわしてソウルが選ばれた。この招致合戦、名古屋の優勢が伝えられていたが、アジアでのオリンピックが日本に集中してしまう懸念、更にはモスクワオリンピックをボイコットした事による東側諸国の反発などもあったらしい。ていうか韓国もモスクワはボイコットしてるんだが・・・・・
当時の名古屋市長はこの誘致失敗により(おそらくそれが大きな原因)により自殺してしまっている。

しかし、この招致合戦に敗れた事が2005年の万博開催につながったという向きもある。

このオリンピックの開催決定は1981年。1980年の光州事件の翌年にソウルでの開催が決定された事には驚きを覚える。あんな事件からたった一年しか経っていない韓国をオリンピック開催地に決定するのはするのはまだ少し早すぎたのではないか。僕に言わせれば、このオリンピックは名古屋で開催されるべきだったように思っている。名古屋に決まっていれば、あの大韓航空機の爆破事件も起こらなかったのではないだろうか。

何はともあれ、ソウルオリンピックは開催され、大会そのものは成功のうちに幕を閉じることとなる。

この大会でもっとも衝撃的だったのはやはりベンジョンソンの禁止薬物による金メダル取り消しだろう。この大会、ベンジョンソンは100メートルで9秒79という驚異的な世界記録を打ち立て優勝する。まだ9秒90の壁を破った人間がベンジョンソン以外に一人もいなかった中、一人だけ9秒80の壁まで打ち破ってしまった。前年の世界陸上で出された9秒83という彼の世界記録も驚異的だったが、その記録を更に伸ばしてしまったのだ。

1968年から87年までの間に人類が0.04秒しか縮めることの出来なかった世界記録をたった一年強の間に一人で0.16秒も更新してしまった。

筋肉の塊と言われたベンジョンソンのその盛り上がった筋肉はすごかった。目は充血し、ステロイドをやっているのではないかというのは、かなりの人間が思っていた。そのかなりの人間の疑惑に呼応するように、ベンジョンソンの尿からは禁止薬物が検出されたのだ。

ベンジョンソンとカールルイス。この二人の対決は歴史に残る名勝負だった。

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ドーピング疑惑といえば、この大会の陸上女子100メートルと200メートルを圧倒的な強さで制したジョイナー。彼女の100メートル10秒49、そして200メートル21秒34という記録は今でも近づける選手さえ出ていない。

2005年度の女子世界ランク一位の記録は100メートル10秒84。そして200メートルは22秒13である。1988年に出されたこの記録に18年以上経た今でも近づける選手が出てきていないのだ。これを見れば、「永遠に破られない記録」と言われるのも納得である。

彼女のド派手や化粧はドーピングをによる体の変化を隠すためだったとも言われている。ちなみに彼女はソウルオリンピックの翌年、29歳にして早々と引退し、38歳で心臓発作による死を遂げた。彼女の死因もまた、ドーピングの副作用によるものではないかといわれている。

とはいえ彼女は本当に強かった。あれほど強い短距離ランナーはおそら我々が生きている間に再度お目にかかることはできないであろう。

日本人選手の活躍。

斉藤仁。日本柔道はこの大会苦しみに苦しんだ。この大会の柔道競技、最終日(95キロ超級)が始まった段階で、まだ金メダルを一つも取れていなかった。そしてやってきた最終日、95キロ超級の戦いが始まる。日本代表として斉藤にかかるプレッシャーは相当なものだっただろう。しかし彼は勝ち進んだ。そして金メダルをとった。最後の砦となった斉藤仁の金メダルは価値のあるものだった。表彰台の上で泣きじゃくる彼の姿は印象深い。

背泳ぎの鈴木大地の金メダル。30メートル近くまで水中に潜る「バサロ泳法」と呼ばれる作戦で、55秒05の日本新記録。見事な金メダルだった。島村アナウンサーが「鈴木大地、まだ潜っています」と繰り返したあの実況は忘れられない。最近では荒川静香のイナバウアーという言葉が日本ではやっているようだが、当時はこの鈴木大地の使ったバサロ泳法という言葉が一種の流行語となった。

その鈴木大地。2000年にはボストンのハーバード大学で水泳のコーチをしたりしていた。2000年の冬だったろうか。ある日僕がボストンのコインランドリーで洗濯をしていると、鈴木大地がそこにいるではないか!!さすがにかなりぶったまげた。12年前、日本全土を熱狂させた鈴木大地がこんなところで洗濯をしている。例えて言うのであれば、荒川静香さんを10年後に外国のコインランドリーで見かけてしまうようなものだ。

当時は鈴木大地がボストンに滞在しているなどと言う事も知らなかったかたら本当にたまげた。思わず「鈴木大地さんですよね?」と話しかけてしまった。少し会話をしたが、そのときにハーバードで水泳のコーチをしているということを教えてもらった。

t01217.jpg野球。当時公開競技であったが、ここで日本は銀メダルを獲得する。野茂英雄、古田敦也、 野村謙二郎、そして塩崎哲也などそうそうたる面子がメンバーにはいた。その後の彼らのプロでの活躍にここでは言及しないが、皆すばらしい活躍をしている(した)ことだけは明記しておく。
決勝では隻腕ピッチャーのジムアボットに完投を許し銀メダルに終わる。アボットはその後メジャーにドラフト指名され、1991年には18勝11敗というすばらしい成績を残している。右手の手首から先がない、と言う野球選手としては致命的と思われる障害を克服してのこの成績は本当にすばらしいと思う。

サッカーはソ連が優勝。ソ連が決勝でブラジルを破り優勝した。戦後ほぼずっと東側の国々がオリンピックを制してきたわけだが、この大会が東側の国が優勝した最後の大会となった。
その事情に関して書くと非常に長くなってしまうので、興味のある人はこのページなどを参照されたい。この大会、後にスーパースターとなるロマーリオが7得点で得点王。

オリンピックの出場規定1992年からは23歳以下の選手と言う事に落ち着いているが、色々と変遷を経て来ている。この1988年当時は、ワールドカップに出場した事のない選手ならプロでも参加が認められていた。その事情に関しても上記のリンクを参照していただければと思う。

レスリングでは日本が二つの金メダル。48キロ級の小林孝至と52キロ級の佐藤満だ。日本のお家芸とも言われたレスリングだが、男子レスリングのオリンピックでの金メダルはこれ以降出ていない。日本男子レスリングが再び世界を相手に活躍する日が待たれるところである。

体操では清風高校の高校生コンビ、池谷幸雄と西川大輔が活躍し、団体で銅メダル。西川のあん馬での10点満点の演技は今でもはっきりと覚えている。

さて1984年と1988年のオリンピックについて長々と書きましたが、1992年のオリンピックになってしまうと書いても書いても書き足りないくらい書く事があるので、それはまたちょっと先の機会にしようかと思います。特に1992年のバルセロナ夏季五輪なんかは毎日毎日テレビにかじりついていたので、ものすごい量のネタがあります。バルセロナに関してはマジでそこら辺のスポーツジャーナリストに負けないくらいのマニアックです。それは今後ちょっとずつ小出しにしていこうかと思います。
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1984年のオリンピック [2006年03月14日(火)]
しばらく前にトリノオリンピックが閉幕した。トリノを振り返る企画はいろんなテレビ番組なんかである程度やりつくしたと思うので、今日はあえて過去のオリンピックを振り返ってみたいと思う。僕の記憶の中にあるオリンピックと言う事で。

今日は1984年の冬季五輪と夏季五輪の話を書きます。これが僕の記憶の中の最初のオリンピック。1980年にもすでに生まれていたが、1980年のレークプラシッド(アメリカ)冬季五輪と、ソ連のアフガン侵攻への抗議として、日本・アメリカを含む西側諸国がボイコットした1980年のモスクワの夏季五輪に関してはさすがに記憶がない。

僕の記憶の中の最初のオリンピックは1984年冬のサラエボ五輪。この大会が開かれたときの事は記憶の片隅にあるのだが、さすがに誰がどうしたとかはもう覚えていない。ただ、その後サラエボのあるボスニア・ヘルツェゴビナは内乱による戦火に包まれ、立派だったオリンピック関連の施設はことごとく破壊されてしまった。悲しき事実である。

もうちょっとはっきりしたオリンピックの記憶が始まるのは1984年夏に開かれたロサンゼルスオリンピックからだ。この大会のハイライトはなんと言ってもカールルイスの4冠。100メートル、200メートル、走り幅跳び、そして400メートルリレーを全て制した。地元アメリカでで彼はスターにのし上がった。カールルイスといえばその7年後、1991年の東京の世界陸上での活躍も忘れられない。
(カールルイスのサイトは日本語版もあって中々面白いです。是非リンクをクリックしてみてください)

さらに陸上では、アメリカのエドウィン・モーゼスが400メートルハードルを制覇。1976年のモントリオール五輪を制した彼は、1980年のモスクワオリンピックにはアメリカのボイコットで出場できなかったが、この1984年のオリンピックを再び制した。10年以上にわたり400メートルハードルの王者として活躍したモーゼス。彼は同種目で100連勝以上というすさまじい記録を残している。

この大会から始めて公式競技として採用された女子マラソン。その女子マラソンに参加したアンデルセン選手。ゴール前、フラフラになり半分意識を失いながら、歩きながらもゴールを目指す姿は印象深い。日本人はなぜかああいう場面が大好きなので、その後のオリンピックハイライトや何かでもこのシーンはよくテレビに映る。アメリカ人とかがあれを見たら感動すると言うよりも、「危険だからやめさせなさい」と言い出しそうな気がするけれど。

日本人選手の活躍で言うと、やっぱり山下泰裕の金メダル。決勝で相手のラシュワンは山下が痛めた足を攻めなかったことで伝説となった。このラシュワンの取った行動は一つの美談として名高い。ラシュワンは言った。「ヤマシタが右足を痛めていることは分かっていた。だからこそボクは右足を攻撃しなかった。それにヤマシタが強かったから自分は負けた」

少し余談になる。1994年の柔道全日本選手権。準決勝で小川直也(←このリンクはみただけじゃ小川のサイトだと分かりにくいけれど、ちゃんと彼のオフィシャルサイトです)を破り決勝に進出した吉田秀彦。決勝の相手は金野潤。常に全日本で上位に進出しながら小川に勝てずにタイトルを逃してきた選手だ。その小川が準決勝で破れ、体重の軽い吉田が決勝まで上がってきた。金野にとってはタイトルを取るチャンスだ。また、この無差別級の大会を当時78キロ級で戦っていた吉田が制するとすればそれはまたすごい偉業達成と言う事になる。二人は試合開始前から燃えていた。

金野は開始早々吉田を捕まえて脇固めに持ち込む。あまりにきれいに決まったその脇固めで、誰もが吉田の腕が折れたんじゃないかと思った。実際折れはしなかったのだが、吉田の肘の関節は伸びきってしまって、もう試合ではまったく使えないような状態になってしまった。金野は、吉田が痛めたその腕を執拗に攻めた。これでもかというくらいに攻めた。うめき声を上げながらも戦う吉田。しまいには吉田もさすがにキレ気味になり、寝技に持ち込もうとする金野に蹴りを入れるなど普通の柔道の試合では見られないような激闘が展開された。結果、試合は金野の判定勝ち。この大会の準々決勝、金野は正木という選手を蟹挟みで骨折させている。

この金野の徹底した勝利至上主義は賛否両論ある。もちろん一部ではかなり叩かれもした。金野は後のインタビューで「勝つためには当然だ」という主旨の発言をしているが、果たしてどうなのだろうか。山下の痛めた右足を攻めずに負けたラシュワン。そして吉田の痛めた腕を攻めて勝った金野。どっちが正しいのか僕には分からない。皆さんはどう思われますか。

野球の敬遠なんかもそうだが、勝つためには相手の弱点を攻める事も重要な気がする。僕の中では何の結論もいまの時点ではないのだが、人生とからめて「勝つ事、勝利至上主義であること」の意味をこれから時間をかけて少し考えてみようと思う。

ただ、一つだけ僕の中で最近はっきりした事。これは作家落合信彦の受け売りなのだが、「生きる事は攻めることだ。防御的な人間に面白い奴なんかいない」という事だ。攻め方は人それぞれ。ラシュワンのように相手を傷つけることなく攻める人間と、人を蹴落としまくりながら攻めに攻めて生きていく人間もいるだろう。攻めの人生、攻め方は人それぞれ。ただ、やっぱり攻めなくては勝てないのだ。僕も守りに入らずに人生は攻めていきたいと思う。

1984年のロス五輪での他の日本人選手の活躍。水の女王と言われ、金メダルを期待された16歳の長崎宏子。100メートル平泳ぎ6位、200メートル平泳ぎでは4位と奮闘するが、期待されたメダルには手が届かず、失意のうちにロスアンゼルスを後にした。

鉄棒での森末慎二の金メダル。その見事な10点満点の演技に観衆は酔いしれた。

オリンピック。オリンピックに限った事ではないのだが、人が全力で戦う姿はやはり美しい。僕も力を振り絞って生きていかんとな。
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